| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | |||||
| 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
| 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
| 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
| 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
| 31 |
今日の夜、事務所で仕事をしていると、外で雨が降り出し、雷が鳴り始めた。雨粒は次第に大きくなり、雷鳴も近づいてくる。夜も10時を過ぎると、雷は事務所からほど近いところに落ち始め、地鳴りのするような爆音が周囲に響き渡るようになった。
一緒に事務所にいた蔵谷さんの話によると、雷が近くに落ちると、高圧の電流が電線を伝ってきて、電化製品を故障させてしまうこともあるとのこと。「雷サージ」というらしい。やばい。うちの事務所は何ら対策を施していない。とりあえずデスクトップパソコンの電源を落とし、ノートPCで仕事をすることに。次第に雷鳴が遠ざかり、もう大丈夫だろう・・・と思って、デスクトップの電源を入れた途端・・・
ピカッ!ドーン!
凄まじい雷鳴が鳴り響き、一瞬パソコンの画面が乱れた。幸い故障はしなかったようだが、これがおそらく「雷サージ」なんだろう。くわばらくわばら。
先日、CUEの取材で知ったのだが、雷が落ちる可能性がある範囲とは、「雷が聞こえる範囲」とのこと。すなわち、「雷鳴は聞こえるけどまだ遠くだから大丈夫」という考えは誤っているらしい。肝に銘じなければ・・・。
今、仕事の関係で「読書」について調べているのだが、資料として購入した本の中に、興味深い話が載っていたので紹介する。「読書の歴史」というアルベルト・マングェル氏の本なのだが、文字が発明されてまもなく、古代エジプトではこんな話があったらしい。
ある日、王の元を訪ねたテウトは、文字について「これこそ人に記憶と知恵を生み出すもの」と紹介した。しかし、王は次のように答えた。
「もし、人々がこれを習得すれば、きっと彼らに忘却を植え付けることになるであろう。文字を頼って記憶力を鍛えることをしなくなるのではないか」
まるで、現代のパソコンや携帯電話に浴びせるような批判を、文字というメディアにぶつけている点が、実に面白い。さらに王は、次のようにも話している。
「それ(文字)は、知恵のように見えるみせかけに過ぎない。彼らに多くの事柄を伝えたところで、彼らは多くのことは知っているけれど、何も分かっていないということになってしまうのではないか」
ちょっと分かりにくいので説明を加えると、「文字」を通して知識を得ても、自らの経験や思索の中から得たものではないために、本質を理解しないまま分かった気持ちになってしまうのではないか、ということである。本で読んだ知識を、あたかも自分の知恵として話すような人間が増えるのでは・・・という心配であろう。
なるほど、いかなる時代も新しいメディアが発明される時には、相応の批判があるのだなと感じてしまった。今の時代、読書が悪いことだという人間は、まずもっていない。だが、日本でも明治時代まで、文学が「低俗な遊び」と捉えられていたことを考えれば、いずれテレビや携帯も、学校教育などで積極的に取り組まれる時代がくるのかもしれない。
昨日は、技術家庭科に関する取材で、東京都北区にある明桜中学校へ。全日本技術家庭科研究会の会長を務める岩附政美校長に、約1時間ほど話を伺いました。お話のメインは、「技術科の授業における安全確保」でしたが、他にもいくつか興味深い話の数々を聞くことができました。
技術科は学習指導要領が改訂されるたびに授業時数が削減されてきていて、現行指導要領では1~2年生が週2時間、3年生が週1時間しか行われていません。私が中学生の頃は週3時間はあったと記憶しているので、20年ほどの間に約半分に減ってしまった計算になります。その結果、大きな機械を使って材料を加工する時間が確保できなくなり、生徒たちはある程度加工された材料を渡されて、製作をするのだといいます。
その結果、全国各地の中学校には使わなくなった大型の機械類が大量に放置され、置き場所にも難儀しているのだとか・・・(写真)。何という宝の持ち腐れ!もし機械・工作に興味があり、「欲しい!」という人がいたら、近くの中学校に問い合わせてみるのも一手かもしれません。
いつも撮影でお世話になっているカメラマンの石川さんから、電話が入った。「何だろう?」と思ったら、「ミニドラマで学ぶリスク対応」についてのお礼で「有難うございました」とのことであった。どうやら私のブログを見て完成を知られたらしい。お世話になったのはこちらの方なのに、その丁寧な姿勢に、恥ずかさで頭の下がる思いがした。
私はつくづく自分を古風な人間だなと思う。「礼儀正しい」人間が好きで、不遜な態度を取る人間は「嫌い」。人の立場になって物事を考え、人の嫌がる事はしない人間が「好き」で、人を冷やかしたり辛かったりする人間は、どちらかと言えば「嫌い」。もちろん、不快な思いをしてもそれを表には出さないし、さほど気にしないようにはしている。だが、結局のところ長く仕事を共にしていける人間というのは、「好き」な人間なんだろうなと思う。
そして何より、自分自身が「礼儀正しく」「思いやり」の持てる人間になりたいと常々思っている。だが、最近はそんな理想像と相反する自分を感じ、落ち込むことも多い。日々感謝の念を忘れない。そんな人間になれるよう努力せねば。
五輪の野球で、星野ジャパンが準決勝、3位決定戦で敗れ、メダル無しに終わった。以前、ブログでも書いたが、私自身は五輪の野球にあまり存在意義を感じていないし、ロンドンで無くなることも、ある意味では妥当だと考えている。しかし、ちょっと世論が監督や選手に辛辣すぎるので、書かせてもらう。
今朝のテレビで「日本の敗因は?」という世論調査の結果を紹介していたが、一番多かったのは「監督の采配」であった。なるほど、代表選考や投手起用において、一般の人たちから見れば「なぜ?」と感じる部分は少なからずあったかもしれない。
しかし、監督という当事者にしか分からない内々の事情というものがある。前回W杯の時、リーグ戦ではスタメン落ちもしていたガンバ大阪の宮本が日本代表に選出されたことがあった。理由はチームとしてのまとまりを生むためだが、こうした采配はチームの事情をよく知る人間にしか分からないであろう。
調子が悪い投手をあえて代表に選び、大事な場面で投げさせる。外部の第三者からは「なぜ?」と思える采配も、内部の当事者には相応の理由があるからそうするのであって、その辺りの事情を汲もうとせずにこき下ろすのはいかがなものであろうか。
そういえば以前、ある学校で保護者が先生方の授業を評価するという試みを取材させていただいたことがあった。授業を見た保護者は、ある先生の授業方法について、多くの点で疑問を抱いた。しかし、後に先生と保護者が話し合いの場をもち、児童の人間関係やその日の出来事などを説明した結果、疑問のほとんどは氷解した。
当事者には、当事者にしか分からない事情というものがある。星野監督は「私の責任」「私の采配ミス」とコメントしたが、これは選手をかばうための発言であり、自身が振るった指揮に後悔はしていないであろう。いい加減「犯人探し」をするような風潮は、改めた方がいいんじゃないだろうか。
今週は納品ラッシュ。「会社員のためのミニドラマで学ぶリスク対応」に続いては、「特色ある学校づくり」の追録第11-12号です。こちらは佐藤晴雄先生、堀井啓幸先生に監修いただいている先進校・ブランド校の事例集(加除式台本)ですが、発刊から4年目を迎え、厚さもかなりのものになってきました。ということで、めでたく(?)バインダーに収まらなくなり、今号の追録で一部をCD-ROMに移し替えました。CD-ROMも今号で4枚目。動画も計15本に上ります。
今回の新規映像3本は、ほとんど私が関与せず、ディレクターの川口氏と澤田に任せました。カメラ一つ渡して「撮ってこい」といった感じの、少々乱暴な仕事の振り方ではあったと思いますが、いずれの映像も仕上がりはかなりのレベルに達しているのではないかと思います。
記事の方も、前回からスタートした「私の秘策」や座談会など、充実した内容になっていると思います。執筆くださったライターの方々、監修の先生方をはじめ、この場をお借りして心より御礼申し上げます。ありがとうございました。