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久々に宮部みゆき氏の本を読んだ。タイトルは「地下街の雨」。この人の作品は、「火車」「理由」などの長編から短編集の類に至るまで、幅広く読んできたのだが、こんなタイトルの本があることを知らず、近所の本屋で見つけて思わず手にとってしまった。全7作を収めた短編集。調べてみたところ、集英社が出している数少ない宮部作品の一つのようだ。
最初は社会派推理小説であろう・・・と思っていたのだが、最初の1話目こそ少々そんな匂いがあったものの、ほかの6作はまったく趣が異なっていてた。登場する人物こそ、ごく普通のサラリーマンだったりOLだったりするのだが、その身の回りに起きる現象は、どこかSF的というかホラー的というか、科学では説明できないような展開の連続。長らく社会派推理小説=宮部みゆきと思ってきた私にとっては、非常に新鮮だった。
そういえば!宮部氏は社会派推理モノだけでなく、「龍は眠る」などのSFモノ、「幻色江戸ごよみ」などのお江戸モノも書く人だったことをすっかり忘れていた。それにしても、極めて論理的な社会派推理モノとその論理を根底からぶっ飛ばしてしまうSFモノを書き分けるこの人の頭の中って・・・、一体どうなっているんだろうか。
沢木耕太郎の「凍」を読んだ。主人公は世界的クライマーの山野井泰史とその妻である妙子。二人がヒマラヤの「ギャチュン・カン」という高峰の北壁にアタックし、遭難寸前に陥りながら奇跡の生還を果たすまでの実話が描かれている。クライミングの世界の凄まじさ、山にかける山野井夫妻のひたむきな思いが、沢木氏ならではの圧倒的な描写力で綴られていて、夢中になって読んでしまった。
恥ずかしながら、私は山野井夫妻のことも、クライミングの基本的なことも、「ギャチュン・カン」のことも、この本を読むまで何一つ知らなかった。それでも「夢中」になってしまったのは、きっとそこに生身の人間の本性というものが、生々しく描かれていたからではないかと思う。「死」というもの、そして「生」というものに対し、誰よりも冷静かつ客観的に向き合えるのは、あるいはクライマーなのではないだろうか。「なぜ山に登るのか」という質問に「そこに山があるから」と答えたのはイギリスの登山家ジョージマロリーだが、その真意がこの本の中にあるようにも思った。
沢木耕太郎の本は「敗れざる者たち」「一瞬の夏」から「深夜特急」に至るまで、その大半を読んできたのだが、今回はクライマーが主人公とあって、文章のほとんどは間接取材(本人からの聞き取り)で成り立っている。その点がこれまでの作品と異なる点なのだが、それでもってこの圧倒的な描写力・・・。もう脱帽以外の何物でもない。
524人を乗せた日航機123便が御巣鷹山に墜落してから、今日でちょうど23年が経った。今朝のニュースでも遺族による「慰霊登山」の様子が流されていたが、事故から四半世紀が過ぎようとする今でも、事故の記憶は多くの人々に残っている。当時、私は中学1年生で、テレビアナウンサーが搭乗者の名前を読み上げたり、自衛隊が救出作業に奔走したりする様子を食い入るように見ていた。
520人もの犠牲者を出した事故だけあって、この事故はその後、ドキュメンタリーや小説にもなった。その一つが横山秀夫の『クライマーズ・ハイ』で、今夏には映画化もされ、現在全国で上映されている。地元新聞社に務める記者の奮闘を描いた小説だが、単独機としては人類史上最悪の事故という「高み」に立たされた記者たちが、本性をむき出しにしてぶつかり合う姿が実に印象深かった。
人の「命」とは、いったい何なのか。命に「重さ」や「大きさ」が存在するのだろうか。一つの事故の裏側で展開される人間ドラマを通じ、そんな根源的な疑問を問いかけてくる作品だと思う。どんな映画になっているのか、どこかで時間を作って見に行ってみたい。
先日、取引先の方が教えてくださったのだが、小林多喜二の『蟹工船』が、古典としては異例のベストセラーになっているらしい。最近、書店にも行く時間がない私は、不覚にもまったくこの事実を知らなかった。いったい何故に今、小林多喜二の「蟹工船」なのか。恥ずかしながら、私は『蟹工船』を読んだことがないため、最初はその理由がよく分からなかった。
後で調べて分かったことだが、『蟹工船』は日本の近代化が進み、資本主義社会が浸透し始めた1929年に発表された小説で、蟹工船で非人間的な扱いな労働を強いられる人々の生活と闘争が描かれているという。物語の主題は、資本主義社会が生む「搾取」と「格差」。なるほど、現代の「ワーキングプア」の問題とそのままつながるような気がしないでもない。
そう考えると、日本社会は今から70年も前から同じような問題を抱え、それを解決することなく今に続いてきているということになる。あるいは現代の方が「格差」はあらゆる所に蔓延し、問題はより深刻化しているのかもしれない。
「特色ある学校づくり」の取材でお世話になっているライターの近藤さんが、少年写真新聞社と共に手がけてきた書籍『発達障害 はじめの一歩』が発刊されました。本書は、いわゆる学習障害(LD)や注意欠陥多動性障害(ADHD)、アスペルガー症候群など「発達障害」と呼ばれる子どもたちの「症状」や「ケア」などについて、発達障害の子どもをもつ親や学校の先生を対象に、イラストや図表などを用いて分かりやすく解説した入門書です。
出版社の方に怒られそうですが、チラリと中身もご紹介しますと、このようにかなりやさしく、分かりやすく解説されています。これならば、「特別支援教育」とか「発達障害」という言葉を聞いたことがない人でも、読んでみようという気になると思います。また、発達障害をもつ子どもへの接し方やケアで困っている人にとっては、すぐに実践できるヒントが満載で、とても実用的です。興味がある方は、ぜひ手にとって見てください。
書籍というのは、パラパラとめくってみただけで、作り手の本気度が伝わってくるものですが、本書は近藤さんや編集者の方々の「熱き思い」がひしひしと伝わってきました。同じ本作りの担い手としても、いい刺激になります。私もそんな刺激を人に与えられるような、いい本を作りたいなと思った次第です。
知人が何人か読んでいて「面白い」との話を聞き、文春文庫『裁判長!ここは懲役4年でどうですか』を読んでみた。ライターである北尾トロ氏が約2年にわたって裁判所に足繁く通い、様々な事件の裁判を傍聴した記録を綴ったものだが、裁判の裏側にある人間模様が伝わってきて、なかなか面白いものがあった。
この本を読んで感じたのは、結局のところ、世の中を動かしているのは「仕組み」ではなく「人」なんだということ。書籍には、自分の収入を保持するために裁判を長引かせようとする国選弁護士、傍聴人の多い裁判ではやたらと張り切る裁判官や検察官などの話が出てくるが、理路整然としたシステムで動いているかに見える裁判所が、実は人の心持ち一つで大きく結果が左右される、ファジーな世界なんだということがよく分かる。きっと、こうした話は会社や政治などの世界においても同様で、話し方・伝え方一つで、実現するプロジェクトもあれば、ボツになる政策もあるのだろう。
書籍には、強盗殺人や覚せい剤、詐欺、強姦、窃盗など、実に多様な事件の裁判記録が面白おかしく綴られており、裁判がどんな雰囲気の中で、どのような手順を踏んで行われるかが、とてもよく分かる。裁判員制度が導入される前に、ぜひ一度読んでおきたい本である。