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2006年03月31日

060331.jpg今週の日曜日は、事務所のメンバーなど計8名でお花見の予定。…なのにこんな事を書くのは気が引けるが、私は桜があまり好きではない。別に花が美しくないとか、散っていく様が嫌いとか、花見の酔っ払いが嫌いとかいうわけではない。ただ何となく、この季節に一斉に咲き誇る桜の木々を見ていると、ちょっと遣る瀬無い気持ちになってしまうのである。

当たり前だが、桜の花は3月下旬から4月上旬にかけて一斉に咲く。例年、多少のズレはあるものの、これが5月になったり2月になったりすることはない。間違いなく、同じ時期に、ほとんどの木が歩調をあわせたかのように、一斉に咲く。その様子は、自らの意思とは関係なく、内部に組み込まれた遺伝子と周囲の環境に支配され、「咲かされている」ようにも見える。

こうして一斉に咲き誇る桜の花を見ていると、人間も実はそんな予定調和の中で淡々と「生かされている」だけなんじゃないか…と思ったりする。ある科学者が言った「我々の身体は遺伝子の乗り物に過ぎない」という言葉への嫌悪感を、桜の花を見るとつい思い出してしまう。

2006年03月30日

060330.jpg仕事に行き詰まったとき、あるいは頭の中が混沌として考えがまとまらないとき、皆さんはどんなことをして心を落ち着けたり、集中力を高めたりするだろうか。私はそんなとき、「散歩に出る」ことが以前は多かったのだが、川崎に住んでた頃に深夜の住宅街を歩いていて「不審な人がいる」と通報されてしまった経験があり(実話)、それ以来、あまり散歩はしなくなってしまった。

代わりにといってはなんだが、私はたまにルービックキューブ(写真)を動かしつつ、自分の気持ちを静めるたりすることがある。「こんなものやって、本当に心が落ち着くの?」とよく聞かれるが、自分には性が合うのか、結構いい気分転換になる。自宅には、もう20年近くも前にかったキューブがあり、たまに取り出してはカチャカチャと動かして楽しんでいる。

半年ほど前、飯田橋の本屋にルービックキューブが置いてあるのを発見し、あまりに嬉しくて衝動買いをしてしまった。今、そのキューブは事務所の棚に飾ってある。だが、私以外の人間がいじっているのを見たことがない。あまり、普通の人には楽しいものではないのだろうか。ちょっと寂しかったりもする。

2006年03月29日

060329.jpgここ最近、心と身体のバランスが今ひとつ取れていないように思う。いろんな仕事が同時に動いていて忙しいから…という見方もできるが、忙しいのは今に始まったことではないし、なぜにこんな状態が続いているのか、自分でもよく分からない。はっきりしているのは、それが他人によってもたらされたものではなく、自分自身の中から生じてきたものだということである。

当然のことながら、心と体のバランスが取れていないと、良い文章はかけない。それどころか、会議でのやり取り、電話でのコミュニケーション等も思うようにいかず、それが結果として周囲に悪い影響を及ぼしたり、人に面倒をかけたりもする。ある意味で、非常に迷惑な話でもある。

今から10年近く前、スキー場で私の義兄が「急斜面のコブを滑るときは、心技体がすべて整っていないとうまく行かない」と言っていた。ちょっと大げさかもしれないが、文章を書くのも同じ。今の自分は、そんな悪循環の輪にはまってしまっているのかも知れない。

2006年03月28日

060328.jpg今日は、雇用保険の手続きで新宿のハローワークへ。ちょうど昼時だったので、そのすぐ側のインドカレー店で、昼食を取る事にした。注文したのは、オーソドックスなチキンカレー。店員は皆、インド人で店内では「踊るマハラジャ」さながらのインド映画が流れている。しばらくして、私の前に大きなグラスに入った水とヨーグルトドリンクが運ばれてきた。

ヨーグルトドリンクは、ランチに付いているらしいのだが、飲んでみると、とてつもなく甘い。何でこんなに甘いのだろうか、きっとこの後出てくるカレーが猛烈に辛いに違いない…私はそんな事を考え、少々身震いしながら、チキンカレーが出てくるのを待った。

…が、出てきたカレーは、ごく普通の辛さであった。ボンカレーで言えば、「中辛」くらいだろうか。ノドが焼け、舌がヒリヒリし、体中の毛穴から汗が出てくるような辛さをイメージしていた私は、少々物足りなさを感じてしまった。そして、さほど辛い料理が好きでもないくせに、中庸な辛さのこのカレーに対し、得も言えぬ不完全燃焼感を覚えてしまった。

先日もブログに書いたが、「美味しい」「面白い」「寒い」などの人間の感覚は、相当先入観に左右されるのだろう。「面白い」と期待して行った映画が、期待しすぎで面白くなかったり、「寒い」と言われて赴いた旅行先が意外と暖かく感じたりすることは多い。きっと、今日私が食べたカレーも、ヨーグルトドリンクが出ていなかったら、もっと美味しく感じたに違いない。

2006年03月27日

060327.jpg今日、うちの会社に初めて税務調査が入った。「税務調査」なんて聞くと、警察のガサ入れのごとく調査員がゾロゾロとやってきて、社内の書類を手当たり次第調べはじめる…なんてイメージを持つ人がいるかもしれない。だが、実態はまったく違っていて、調査員として来られたのはたった1人。調査もいたって紳士的で、面接をしながら提出を求められたものだけを見せる、といった形式であった。

だが、とにかく時間が長かった。朝の10時からスタートして、終了したのが夕方の4時過ぎ。その間、昼食休みを挟んだものの、ほぼぶっ通しで調査員の方との一問一答を繰り返した。
「この売上の数字の根拠は?」
「この支払は何の書名の原価?」
そんな質問に一つひとつ回答していくのだが、これが何時間も続くと結構キツイ。別段、やましいことをしているわけではないので、ただ正直に答えていくだけなのだが、さすがに最後の方はげんなりしてしまった。

特に問題があっての調査というわけではなく、5期目の節目を迎えての定期的な調査ということで、調査は滞りなく終了し、大きな問題等もなかった。ただ一つだけ注意されたのは「支払先からはちゃんと請求書等をもらってください」とのこと。そうしないと、原価の出所が分からず、法人税や消費税の税額計算に影響を及ぼすとのことであった。

ライターやデザイナーへの支払に関しては、これまで業務が完了したら当方から自主的に支払うことを原則としていたため、特に請求書の提出を求めなかった。だが、税務署から指導を受けたからには、改善しないわけにはいかない。

…ということで、今後はそのような形にしたいと思いますので、皆さん、面倒とは思いますが、ご協力よろしくお願いします。

2006年03月24日

060324.jpg今から3、4年前の話になるが、ライターの方々との飲み会で「一文の長さ」に話題が及んだ。あるライターさんは「一文は短く。簡潔に書く方がいいに決まっている」と言い張り、あるライターさんは「短くしすぎると、かえって分かりにくい」とまくし立てた。30分ほどその話題で盛り上がったが、なかなか興味深い議論だったように記憶している。

言うまでもないが「一文の長さ」とは、句点(。)で区切られるまでの文の長さのことである。これが長い方が読みやすいか、短い方が読みやすいかは、文壇界等でも長らく議論されてきたが、これと言った結論が出ているわけではない。掲載するメディア(新聞、雑誌、単行本、インターネット)、執筆するジャンル(小説、エッセイ、コラム、ルポ)、読者対象(子どもor大人、一般人or専門家)などによっても、良し悪しは分かれるに違いない。短い文章、長い文章は、その人の「個性」という見方だってできる。

ただ一つ言えることは、いろんな要素を詰め込んでいて、読んでいる人間の思考を右へ左へ振り回し、ちょっと居心地が悪いような、あるいは余計な情報まで入れ込んでつながりが悪くなっているような、そんな文章を書いてしまうことは、極力避けた方が得策ということである。
(↑まさにこんな文章)

一方で、長いけど読んでいて苦痛にならない文というのも、確実に存在する。そうした文章が書ける人こそが、頭の中にきちんとした理論構築がなされている人なんだろうと思う。