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教育的配慮

080606.jpgグラフィックデザイナーの横尾忠則氏が、世田谷美術展で「冒険王・横尾忠則」と題した展示会を開催しているのだが、この展示会に美術鑑賞に行く予定だった小学校に待ったがかかった。原因は、「過激すぎる」というもの。一度、「観る」と言っておいて「やめる」と言い、理由が「過激だから」というのだから、考えれば失礼極まりない話である。担当者は、横尾氏がどんな作品を描くかすら知らなかったのであろうか。

いわゆる「教育的配慮」というのであろうが、この件については、少々「羹に懲りて膾を吹く」感がないでもない。関係者が懸念したのは性的な描写であろうが、芸術鑑賞をする上で、こうした心配をしていては見学できる領域は極めて狭くなってしまうような気がする。こうした「配慮」が、果たして本当に子どもの教育にとってプラスになるのだろうか。

結局のところ、問題を指摘されたときに、責任問題となるのを恐れるがための措置と言えなくもない。配慮しているのは、「子ども」ではなく、「自分自身」ということか。最近、そうした「すり替え」が至るところで使われているような気がしてならない。

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