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天動説と地動説

070613.jpg一緒にお仕事をしているクライアントの方が、こんな話をしてくださった。「日本人ならば日本語をきちんと読み書きできると、皆が当たり前のように思っている。でも、実は識字率がここまで達したのは明治以来の教育の賜物。地動説を天動説と勘違いしてはならない。」なるほど、この着眼点は「目からウロコ」であった。

多くの人々は、太陽が東から上って西に沈むように、「日本人ならば、読み書きは当たり前にできるもの」と考えている。だが、実際には、私たちが読み書きをできるのは、先人が築いてきた教育制度の賜物であり、その制度を我々現代人が「回している」からこそ、多くの人々が不便なく「読み書き」できるのである。すなわち、教育制度が回らなければ多くの人が文盲化(差別用語かもしれないが…)し、明治以前の状態に戻るかもしれないのだ。

天動説と地動説の例えは、他にも様々な事柄に応用できる。例えばサラリーマンが給与を得られるのも、会社が「回っている」からではなく、自分も含めた多くの人間が「回している」からなのだ。「天動説」の立場を取れば、給与が出るのは当たり前の日常に埋没し、当事者意識は薄らいでいく。

当たり前の日常の中で「地動説」を唱え、当事者意識を持つことは容易ではない。でも、そうした意識を持てる人間こそが、その組織を真に回していくエンジンと成り得るのだろう。