2009年03月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

誤用の一般化

070529.jpg今日、松岡農水大臣の自殺について、朝日新聞の社説に次のような文章が掲載されていた。

「政治とカネの問題で、国民の不信は高まっている。それに正面から応えるのが政治家としての、そして首相としての王道である」

別に、社説の論調をどうこう言うつもりはない。気になったのは、実に細かいこと。この文脈での「王道」の使い方である。

私の知る限り「王道」は、「王様でも歩ける楽な道」という意味で使われる単語だったと記憶している。例を挙げれば「達人の道に王道なし」といった感じである。それが最近では「正々堂々とした道」あるいは「正規のルート」といった意味合いで、多くの人が使うようになった。だが、新聞はかなり正確な日本語を使っているので、この社説には少々驚かされてしまった。

確かに、誤用が一般化した例は珍しくはない。例えば、「的を得た」という言葉は、本来「的を射た」が正しいが、少なくとも話し言葉では前者を使っている人の方が圧倒的であろう。いずれ「愛想を振りまく」とか「二の舞を踏む」とかいった言葉も、普通に使われるようになるんだろうか…。

※追記 この記事には一部、私の勘違いがありました。詳しくは、下記「信長の野望さん」と私のコメントをお読みください。お詫びして訂正申し上げます。
(あえて消さずに恥をさらすか…笑)

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.con-text.co.jp/mt/mt-tb.cgi/462

comments

広辞苑では、王道は『儒家の理想とした政治思想で、古代の王者が履行した仁徳を本とする政道をいう』となっており、『武力・権力を用いて国を治める覇者の政道』である覇道の反対語となっています。ゆえに、社説の使われ方でよいと思うのですが。

信長の野望さん、コメントありがとうございます。

ユークリッドが、王さまに「幾何学を学ぶの何か簡単な方法は?」と聞かれて、「幾何学に王道なし」と答えたのが語源との話を本で読んだことがあります。すなわち、王道には「Royal Road」を語源にしたものと、儒教を語源にしたものがあるようです。

いずれにせよ、広辞苑にそう書かれてあるのならば、確かに新聞も間違いではないですね。私が一方の意味しか認識していなかったようで、勉強不足にてたいへん失礼いたしました。

comment submit