世の中は誤解にまみれている

最近、ふと悲しくなる瞬間がある。自分という人間を冷静に眺めると、頭の中にあるのはいつも仕事のことばかり。仕事から帰っても、飯を食っているときも、風呂に入っているときも、今日明日の仕事や、今後の会社のこと、動き出そうとしているプロジェクトのことなど、ねちねちねちねちと考え続けている。

最近は、近所のパスタ屋で、資料を読みながらある新規プロジェクトの中身を考えるのが日課のようになっているが、そうしてひねり出したアイデアを相手にうまく伝えられなかったり、実現しなかったりすると、悲しさが波のように押し寄せ、自分という人間に価値を見出せなくなってしまう。他に、これといった生き甲斐らしきものがないのだから、仕方がない。

要は実力不足ということなのだろう。

「よくやっていると思うよ」

そう声をかけてくださる人が、かろうじて私のモチベーションを支えているとでも言おうか。

別段、会社を大きくしたいとは思っていないし、金持ち社長になりたいとも思っていない。自分とその周囲がある程度不自由なく生きて行けて、皆が自分に少しだけでも敬意を払ってくれて、たまに「ありがとう」と言ってくれる。それだけでいい。

しかし、そんな私の価値観を、本質的な部分で理解してくれる人間は、ごくごく限られている。自分がどんどん孤独になっていく。それは「社長」というくだらない肩書きを背負って生きていく限り、仕方がないのだろう。ならばいっそ、シチズンの時計をロレックスにし、電車通勤を運転手付きのリムジンにし、ブランドスーツで身を固めてやろうか。

まあ、そんなお金など全くもってないのだが。

私が同世代の人間より、ちょっと贅沢なことをしているといえば、親への仕送りくらいであろうか。それも月数万というはした金。自分に使うことがないから、罪滅ぼしでやっているというのが、正直なところ。

世の中は誤解でまみれている。

自分は皆が思うほど、物欲に過ぎた人間でもなければ、立派な人間でもない。

ただ、自分の周囲にいる人間、自分の大好きな人間たちが、笑顔で幸せに生き、その中で自分という人間に、多少なりの敬意と笑顔を分け与えてくれれば幸せを感じられる、実にスケールの小さな人間なのである。

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