細木数子

060517.jpg自宅に帰って久々にテレビをつけたら、細木数子がとあるバラエティ番組に出ていた。相変わらず歯に衣着せぬ話しっぷり。とあるタレントに、スバズバと「アナタは○○しなさい」と今後進むべき道を指示していた。

私の周囲にいる人間の多くは、「細木数子」と聞くだけで眉をひそめる。「うさん臭い」「偉そう」「インチキっぽい」「何様のつもりだ」なんて言う。すなわち「嫌い」の部類なんだろう。でも、細木は今も頻繁にテレビに出続けている。それは、多くの人が「細木を見たい」と思っているからに他ならない。

この矛盾はどこから来るのか。私の「周辺」と「世間」が一致していない可能性もあるが、意外と口では「嫌い」と言っている人も、彼女が出る番組を見て、その奔放な発言の数々を楽しんでいるんじゃないかと思う。

では、なぜ細木のような人が持てはやされるのか。私は、皆「決めてほしい」と受身的に考えているからではないだろうかと考える。価値観が多様化する今の世の中、何が正しくて何が悪いのか、多くの人が判断できずに迷っている。そんな中で、一つのことも決められず、決定を先延ばしにしている人が多い。「ニート」増加も、そうした現象の一つと見ることができよう。

細木は、何のためらいもなく、他人に進むべき道を示す。その明瞭な回答の出し方は、今の世の中には無い潔さがある。そんな力強い言葉に、多少の胡散臭さがあろうとも「従ってみよう」と、多くの人が考える。言ってみれば、思考停止状態。もし、その道を進んで失敗したとしても、「悪いのは自分じゃない」と自分自身を慰め、言い訳もできる。

そんな価値観が今の世の中を広く支配しているように思う。「自分で決める」ことは、人が生きていく上で基本的なことだと思うのだが。

comments

「自分で物事を決めることができる権利」=「自由意志」は私たちに与えられた最大の贈り物だと思います。それを人にゆだねてしまうのは私は嫌です。
 だから細木は好きではなかったのかもしれません。(自分ではよくわからなかった理由を、文章で明確に表してくださって感謝です。)
 今の時代、占いがはやるのも新興宗教がはやるのも同じ理由かもしれませんね。

しずかさん、同感してくださって嬉しいです。確かに占いや新興宗教が幅を利かすのも、そんな個々人の甘えや弱さが起因しているのかもしれないですね。
私は細木がテレビに出ていると、チャンネルを替えます。(笑)