学校行脚

060217.JPG今週は、計3校の小中学校を訪問。授業やクラブ活動を見せていただいたり、校長先生の話を聞いたりと、慌しい1週間だった。来週は、計4校を訪問する予定。ちょうど『特色ある学校づくり』や『CUE』(いずれも第一法規刊)の取材が佳境に入ったためなのだが、「学校行脚」は実に楽しく、勉強になることが多い。

「一億総教育評論家」と呼ばれるほど、教育については、多くの人たちが多種多様な意見を出し合っている。それは、「教育」がほとんどの国民にとって、自らの実体験で語れる身近なテーマだからに他ならない。だが、実体験という狭い世界観で構築された教育論は、時に独りよがりな私見へと導かれるリスクを孕んでいる。

私自身、過去6年間で数え切れないほどの学校を訪問したが、その過程で嫌というほど、実体験に基づく学校観・教育観が、通用しないことを思い知らされた。もちろん、時が遷り変わったことに伴う「時代間格差」があるのは確かだが、それ以上に強く感じたのは各校の間に横たわる「学校間格差」である。すなわち、AさんがB校で過ごしたか、C校で過ごしたかで、構築される教育観は、大きく異なってくるのである。

もちろん「学校を回らずして教育論を語るな」と言っているワケではない。だが、より説得力のある教育論を提言したいのならば、自らの足で色んな学校を回ってみるべきだと思う。もちろん、学校市場のヒット商品を生む上でも、「学校行脚」は有効であろう。

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comments

「教育論」は私見でいいので持つべきと思います。
経験しないことは理解することができないですよね。
自らが体験した教育、学校に対することがその人の「教育論」を構築すると思います。

つまり、大人になってしまうとが「学校」が縁遠い存在になってしまうことにも問題と一面があるのではないでしょうか。
学校が地域の中にある(公立学校の場合)にもかかわらず、子供が学校にいっている家庭以外は学校とただの存在であり、積極的にかかわる場所ではないようになっていると思います。

地域の中の学校のあり方、学校側のアプローチと地域、個人側からのアプローチが必要ではないかと思います。

そんな場の提供ができ、いろいろな立場の方が話しができるような事を明彦社長には考えてほしいと思います。

nagaoさん、丁寧な考察ありがとうございます。学校って何だ?という根源的な問いは、私の中にもあります。いろんな学校を見ていると、学校が地域の中核的役割を果たし、交流の場として機能しているところもあります。でも、これはほんの一部ですよね。

かく言う私も、自宅のある王子の小中学校には、選挙でしかいったことがありません。学校という場を通じて、多様な人々が話せる仕組みづくり、自身の宿題として考えてみたいと思います。

 学校現場にいる人間として、学校でされている教育が地域の住民にわかりずらいという事は残念に思います。「開かれた教育」を目指し、インタネットやお便りなどで実践報告がなされていますが、まだまだ一部の家庭にしか届いていないようです。ひとつの要因としてはわざわざ見るほどの情報が(HPやお便りなりに)載っていない事にもあるでしょう。
 とかく真面目な教師軍団が作るとおもしろくない紙面になりがちです。マスコミの紙面づくりにも学ぶところがあるかもしれません。
 「学校間格差」で学校全体で好い教育をするシステムが構築されているならまだ救いはあると思います。
 問題なのはシステムもなく、教師個人の力量に依存するだけの学校の場合は力量不足の教師にあたった生徒と保護者がかわいそうという事です。幸いわが学校は地域住民の期待に応えているようですが。

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