全能感

060117.jpg先日、新規採用の2次面接(筆記審査)にお越しくださった方の一人が、興味深い論文を書いてくださった。論文のテーマは「ニートと引き篭もりについて」。その人は、テレビ等のメディアが「ニート」と「引き篭もり」を同一の括りで論じている点を指摘し、その二つが本質的に異なることを説いた上で、「ニート」については、「全能感が消えぬまま歳を重ね、自立する年齢になってもそれが捨てられない若者」と表現している。

私が思わずドキリとしたのは「全能感」という言葉である。確かに、若い頃の自分は「自分は何者にでもなれるはず」「自分の可能性は無限大」と考えていたように思う。いや、正確に言えば、今でも似たような考えを心の奥底に持ち合わせているのかも知れない。きっと、多忙な毎日に身を任せることで、それが表出しないようにコントロールされているのだろう。

今、多くの若者が「ニート」になるのは、就職によって自らの可能性が限定されることから逃げ、甘美な全能感に身を委ね続けたいという、確信犯的行為なのかも知れない。もちろん、こうした若者が増加している事実を好ましく受け取ることはできないが、穿った見方をすれば、自分のポテンシャルを高く見積もる人間が増えているのは、喜ばしいこととも取れる。問題は、そのポテンシャルに対する思いを上手く昇華させていく手立てや情報が、今の若者に十分に伝わっていないことなのかも知れない。

comments

「全能感」という言葉を初めて聞きました。なるほどという印象を受けます。ただ、自分自身「無限の可能性」みたいなことは感じたことがなく、いつも自信がなく、劣等感を感じていたような気がします。今の仕事のスタンスもできることから一つひとつ築くことを念頭においてます。そうすることで少しでも自分の糧になればいいなと。
もし今の若い人が自分自身のポテンシャルを大きく感じ、目標や夢を化掲げているとすればそれはうらやましくもありますね。

kageyamaさん、冷静な分析ありがとうございます。夢や目標が大きいのはとても素晴らしいことだと私も思います。でも、現実とのギャップを埋められないと、自己破綻を起こしてしまうのかも知れないですね。「全能感」は、やはり今の若者の方が高いような気がします。