漢字とひらがなの表記

060104.jpgここ最近、あらゆる分野の出版物で、ひらがなの比率が高まっているように思う。例えば、「補てん」や「へき地」などは以前、「補填」「僻地」と漢字で書かれていたが、最近は新聞の表記基準に倣い、多くの出版物が「補てん」「へき地」とひらがなで記すようになった。これは、出版マスコミ業界の全体的な潮流と言える。

だが、少々ひらがなが増殖し過ぎているのでは…という気がしないでもない。例えば、「問題を俯瞰する」といった「俯瞰」は、最近の新聞表記に倣うと「ふかん」とひらがなで記される。昨年、IAUDの会報を編集している際、この基準に倣って「ふかん」と修正したところ、執筆した人から「『ふかん』だと、格調が低くなるような気がする」との指摘を受けた。なるほど、「この問題を俯瞰すると…」という書き方と、「この問題をふかんすると…」という書き方では、同じ意味でも読み手に与える印象も大きく異なってくる。「江成和巳」と「えなりかずき」の例を挙げれば分かりやすいだろうか。

要はバランスの問題なのだが、これがなかなか難しい。
たとえば、すべてをひらがなでかいたばあい、いみてきなきれめがわからず、きわめてよみにくいぶんしょうとなってしまう。一方、漢字を多用し過ぎた場合、其の文章は至極堅苦しく、硬直的な印象を残すに違い無い。

個人的な意見としては、あまり硬直的にルールに拘る必要はないのではないかと思う。例えば、一つの記事の中で「取組」と「取り組み」が混在していては不味いが、同じ雑誌の中でもある記事は「僻地」と書き、ある記事は「へき地」と書くような柔軟性があってもよいのではないか。
私は最近、そう唱えているのだが、理解していただくのはなかなか難しいようだ。

(写真は、私がフリーライター時代から愛用している「記者ハンドブック」。一応、弊社の殆どの出版物はこの表記基準に則って制作しています。)