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今から数年前、あるクライアントさん(今はもうお付き合いがなくなってしまった)が、こんな話をしていた。「世の中には使えないライターが多い。いいライターはほんの一握りしかいない。」なるほど、確かにライターという職は、別に資格があるわけでもないし、そのレベルは多様もしれない。世の中には「なんちゃってライター」と呼ばれるアマチュアが少なからずいるのも確かだろう。
だが、「使えるライター」を「使えないライター」にしてしまうのも、編集者の力量次第ではないかと私は考えている。どんな記事を書いてほしいのか、どんなテイストがよいのか、どんな人が読むのか、どのレベルまで掘り下げるのか等々、そうした趣旨をきちんと伝えないまま取材・執筆をお願いしたら、出てきた記事がイメージどおりにいかなくても当然であろう。そんな状況で「使えないライター」なんて言葉を吐かれたら、ライターの方もたまったもんじゃない。
「使えるライター」のストライクゾーンは、予め決まっているわけではなく、編集者によって広くなったり狭くなったりする。好みの高さ、好みの速さのボールしか打てないような編集者は、自ずと打ち返せる球が少なくなり、よい仕事ができなくなる。すなわち「使えない編集者」になってしまうのだ。どんなコース・球種でも、球に魂がこもっている限り打ち返そうとする、自分はそんな編集者になりたいと常々考えている。