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いつの頃からか、携帯が鳴ると「ドキリ」として、ネガティブな感情を抱いてしまう自分に気付いた。本来、携帯が鳴るのは、誰かが自分に連絡をくれているのだから嬉しいことであり、喜ばしいことであるに違いない。実際、ほとんどの人たちは着信音にポジティブな期待感を覚えると思う。なのに、ここ1~2年の自分は、携帯の着信を知らせるバイブ音が聞こえるたびに「何か仕事でトラブルでもあったんじゃ…」と、悪い予感や面倒臭さを覚えるようになってしまった。まさに「逆パブロフの犬」状態。何とも悲しい話である。
そんなこともあって、最近は「60歳になったら携帯の無い生活を送ろう」なんて密かに思ったりしている。携帯の便利さは否定しないが、鳴る携帯に嫌気を覚え、鳴らない携帯にイライラする毎日から開放されれば、多少なりとも人間らしさを取り戻せるんじゃないか。そんなことを考えつつ、改めて携帯という道具の存在感を意識する。
ふと、自分が携帯だったらさぞかし楽しいんじゃないか…なんて、下らない想像を働かせてみる。自らが発する合図で、人に淡い期待感を抱かせたり、ドキッとさせたり、喜ばせたり悲しませたりできる。そんな瞬間瞬間を少々“サディスティック”に楽しむことができるんじゃないだろうか。携帯の着信音に一喜一憂させられている“マゾヒスティック”な自分を顧みるにつけ、「携帯になってみたい」なんてわけのわからない感情が心の内に浮かんでくる。