2006年05月17日

060517.jpg自宅に帰って久々にテレビをつけたら、細木数子がとあるバラエティ番組に出ていた。相変わらず歯に衣着せぬ話しっぷり。とあるタレントに、スバズバと「アナタは○○しなさい」と今後進むべき道を指示していた。

私の周囲にいる人間の多くは、「細木数子」と聞くだけで眉をひそめる。「うさん臭い」「偉そう」「インチキっぽい」「何様のつもりだ」なんて言う。すなわち「嫌い」の部類なんだろう。でも、細木は今も頻繁にテレビに出続けている。それは、多くの人が「細木を見たい」と思っているからに他ならない。

この矛盾はどこから来るのか。私の「周辺」と「世間」が一致していない可能性もあるが、意外と口では「嫌い」と言っている人も、彼女が出る番組を見て、その奔放な発言の数々を楽しんでいるんじゃないかと思う。

では、なぜ細木のような人が持てはやされるのか。私は、皆「決めてほしい」と受身的に考えているからではないだろうかと考える。価値観が多様化する今の世の中、何が正しくて何が悪いのか、多くの人が判断できずに迷っている。そんな中で、一つのことも決められず、決定を先延ばしにしている人が多い。「ニート」増加も、そうした現象の一つと見ることができよう。

細木は、何のためらいもなく、他人に進むべき道を示す。その明瞭な回答の出し方は、今の世の中には無い潔さがある。そんな力強い言葉に、多少の胡散臭さがあろうとも「従ってみよう」と、多くの人が考える。言ってみれば、思考停止状態。もし、その道を進んで失敗したとしても、「悪いのは自分じゃない」と自分自身を慰め、言い訳もできる。

そんな価値観が今の世の中を広く支配しているように思う。「自分で決める」ことは、人が生きていく上で基本的なことだと思うのだが。