2005年12月15日

051215.jpg先週の金曜日、約2年ぶりに小幡氏の自宅へ伺った。小幡氏は、私の取引先の部長だったが、先々月の末に退職。今は新たな道を歩み始めている。30代後半にして大手出版社の部長になられ、取締役や部下の信頼も厚く、その退職を惜しむ声は各方面から聞こえてくる。私も、小幡氏とコンビでCD-ROMやWeb、DVDなど新商品を生み出してきただけに、大きな後ろ盾を失った感は強い。とは言え、小幡氏とは今後も別の形で仕事に関われると確信しているし、長い目で考えれば“こちら側”に来られたことを喜ぶべきなのかもしれないと考えている。

小幡氏とは明け方近くまで酒を飲み、いろんな話で盛り上がったが、私自身から「なぜ会社を辞めたのか」という質問を、単刀直入に出すことはできなかった。「退職」という大きな決断に対し、人はその「理由」を求めたがる。だが、理由は決して、一つに限定できるものではない。あらゆる理由の「足し算」が、ある一定の線を超えたときに「決断」が待っているのだと思う。

ただ私たちは、彼の退職について「足し算」の中身を考えてみる必要がある。多くの人は、小幡氏の退職の理由と自分は無関係と考えているに違いない。でも、果たしてそうなのだろうか。自分自身の不甲斐なさや怠惰、裏切りが、彼にその決断をさせてしまったのではないか。そう考えてみる必要がある。
もちろん、私自身もである。