ひとりごと…。

コンテクストにiMacが来た!
と思ったら、違った。
映像編集macさん、はじめまして。(??)

寒くなりきる前のこの時期は、考え事が増えます。
具体的には何かわからないのですが。
結構前から、それが何かということで困っています。
本当は何も困ってなんてない気もします。
実はすごい問題が潜んでいるような気もします。

みなさんは、そんなような、言葉以前の考えに困ることはありますか?
と思ったら、その前に、言語によらない思考なんてあるのか、ということが気になってきました。
言語化されない考えは、他者に伝えることができないだけでなく自分自身でさえ何なのかわからない。もしかしたら、”言語化されない考え”なんてものはなく、漠然とした不安のようなものを感じている’気がしている’だけなのかもしれない。しかし、たとえば言語をもたない動物にもコミュニケーション行動がみられたり、何かを感じているように見えることから、言語を欠いた思考が存在しないと断定することもできないだろう。また、発話すれば考えているともいえない。
このような、ある意味どうしようもないことを考える分野として「言語哲学」がある。(「言語哲学」とだけ言ってもいろいろ解釈されそうなので本当はここでの意味を定義する必要があったりする、が、省略。)そこでは、例えば”言語化されない考え”を考えるのに、観念とか表象とか認識とかについてまた独自の単語・思想を出してきて、成功したり失敗したりしている。この辺は物理学などと同じように、人々を前に進んでいるような気にさせる感じではないかと…?
とりあえず、学問としての哲学は、ただの思想一般をさすのではない。当然学問なので、論理的に言語を考えなくてはならない。そこでいろんな方法がある。
大学の授業での記憶をたどると、「論理的」というのは、前提が真ならば結論も必ず真になることで、結果はpまたはpでないはず、のような前提があって、あるときはいろいろな階の論理の言語があって、いつのまにか、”∀x∃yG(x,y)”という記述で”すべてのxについて少なくともひとつのyなるものが存在し、その関係はGという状態である”、みたいなことになっていて、という……しかも、そういう本を書いている人たちは、”自分がわかるところまではわかって当たり前”なので、「なんでここからここにつながるの?!」という飛躍が多々見られます。大変です。

と、いうことで、今回のひとりごとはこのへんにしておきます。
これだけ文字量を取っておいて、
・自分の考えを正確に言語化するのは難しいなぁ
・「言語哲学」って分野で、それについて真剣に考えているらしいですよ
ってだけですね…

どうも、ここまで読んでくださった方、
ありがとうございました。