編集・ライターの仕事

すでに社長ブログでもご報告させていただきましたが、このたび弊社独自のサイトである「Teachers-Online―先生のミカタウェブ」が無事に開設に至りました。

サイトの詳細は社長ブログに書かれておりますので、是非そちらをご確認いただければと思います。

さて、本サイトにおいて、私(澤田)は文例の一部と「実践紹介」の記事、そして「保護者クレーム対応フラッシュゲーム」の作成を担当させていただきました。とくにフラッシュゲームは、私が企画させていただいたということもあり、シナリオの執筆からディレクション、演出等も任せていただき、大変やりがいのある仕事となりました。作成にあたっては、厳しい時間的制約がある中、イラストレーターの湯浅信之氏とwebデザイナーの林哲也氏にご尽力いただき、予想より遥かに完成度の高いものに仕上げることができました。お二人の素晴らしい技術力とプロフェッショナルとしての責任感には、本当に頭が下がる思いです。

ゲームは、若手教師を主軸に保護者から寄せられたクレームに対応していくことで進行していきます。保護者のクレームに対する担任の対応によって物語はさまざまに変化するため、クレーム内容の中にちりばめられたヒントを探りながら行動を選択していく必要があります。また、各セクションごとに行動選択のポイントが解説されるため、教員用の学習教材としても活用することが可能です。シナリオ作成にあたっては、日本大学教授で保護者対応のスペシャリストでもある佐藤晴雄先生にご監修をいただきました。

保護者クレーム対応というと、一般の方からは縁遠い内容と思われるでしょうが、エンターテイメントとしても気軽に楽しめる内容になっておりますので、お時間があるときに是非プレイしてみてください!

イチャモン解決!フラッシュゲーム「わかり合える日のために」
http://www.teachers-online.jp/game

(澤田)

前にブログを更新してから1ヶ月が経過していました。忙しさにかまけて、というより単純に怠けモノだからなのですが、業務の報告が滞り申し訳ありません。ということで、ここ1ヶ月の間に我が身に起こった出来事を簡単に報告していきたいと思います。(申し遅れましたが、澤田です)

①風邪をひいた。
季節の変わり目に見事にやられました。激しい悪寒と体のだるさ、鼻水の量も半端じゃなく、四次元から流出しているのではないかと思うほど止めどなく溢れ出やがります。きっと長袖長ズボンのパジャマの裾をまくしあげて半袖短パン状態で寝たのがよくなかったのでしょう。ともかくこんなときはあったかくして寝るのが一番だ、ということで砂糖とチューブ入りの生しょうがを湯に混ぜたものを何杯も何杯も飲んでいたら胃がもたれて死にそうになりました。頭もガンガンし始め「これはさすがにヤバイ」と思い病院に直行。受付で体温を測ったら36.8℃でびっくりして二度死にそうになりました。「そんなわけはないだろう」と、思わずワキにはさんだ体温計をごしごしと擦りかけました。「ほんとはズル休みって知ってるんだからね!」と鋭い観察力でわたしの嘘を見抜いた元5年2組のS子さんの残像が脳裏を横切ります。そうはいっても体調が悪いことは本当なので、帰ってひたすら寝てなんとか治しました。皆さんもどうぞお体には十分お気をつけくださいませ。

②海ほたるにはうみめがね
先日、とある仕事で千葉県の木更津に佐藤とともに行ってきたのですが、その途中海ほたるに寄ってきました。

umi.gif 東京湾の真ん中にどかーん

この巨大な戦艦みたいな人工島の中には、コンビニ、フードコート、ゲームセンターやパン屋に幸せの鐘と観光スポットにマストな施設が盛りだくさんなわけですが、その中でも特に私の目をひいたのがこれです。

Image0671.jpg  

「うみめがね」は間単にいうと海ほたるに関する資料館のようなもので、開発の経緯や歴史、施設のスペック、構造などが、実際に使われている部品の展示とともに説明されていました。


Image0701.jpg ラピュタにでてきたロボット兵の残骸っぽい部品

使われている素材や工事の技術説明に関しては、専門用語が並びすぎててよく分かりませんでしたが、わりと天気もよく久しぶりに海の匂いを堪能できたので、全体的にはとても楽しかったです。

Image0711.jpg 海ほたるで食べたとんこつラーメン。超でかい佐世保バーガーとかもありました。


③間違えた。
佐藤のブログでも紹介されていましたが、先日、幕張メッセで行われた「InterBee」という映像関連機材の展示会に参加してきました。会場では、どこかのクラブっぽいブースでAdobeの人がAfterEffectsCS4の新機能をデモ映像とともに紹介していたり、ブルーバックのスタジオで異国のダンサーがCG映像に合わせて絶妙なダンスを披露したりと、ほぼ映像素人のわたしでも楽しめるような展示がたくさんありました。「なんだかすごいことになってるなぁ、デジタル」と会場の雰囲気に圧倒されながら、あてもなくふらふらと会場をさまよう私。ふと地図を確認すると、あまり見慣れないピクトグラムを発見。

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会場には、展示カメラの被写体としてたくさんのキャンペーンガールズがいらっしゃったのですが、これはもしや「ここにキャンギャルがおりますよ」という非常にごく一部の人たち(つまりカメラ小僧さん)に向けられたメッセージなのではないのでしょうか。仕事で展示会に参加しているからには、どんな些細な疑問でも積極的に解決を図らねば一流のビジネスマンとはいえません。「そうですよね?」「ええ、そうです」と自分の中の誰かと折り合いをつけながら、わたしはピクトが指し示す場所に直行しました。。。

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大学時代に読んだ本の中に、数十人のAV女優にインタビューを行い、その半生をルポルタージュ形式で描いているものがあった。
その中の一つに、ある女優に対して、過去に交際していた男性について質問している場面があった。その女優は、過去にものすごく好きだった彼氏に自分から別れを告げたことがあるのだという。「どうして?」と訊ねる著者に、彼女はこう答えた。
「ごはん粒を残すのが許せなかったから。」

彼女は、茶碗に数粒のごはんが残されているのを見ると、虫酸が走ってどうしても我慢できないのだという。「まぁ、そういうものか」と、単純に私は理解した。だが、中学・高校と窃盗や傷害などの事件を繰り返し相当荒んだ青春時代を過ごしたというその女優の半生が明らかになるうちに、私はあるもどかしさを感じはじめた。彼女が、過去の犯罪行為について事もなげに語ってみせるからというわけではない。人を傷つけるよりも「ごはん粒を残す」という行為のほうが、よっぽど重罪で許されないことだと感情的になって語る彼女の価値観が、私にはよく理解できなかったのである。

半年前から、私は仕事で「子ども虐待」についてルポルタージュを書くようになった。色々な本や現場の人たちの話を聞くうちに、犯罪に走る子どもたちの比較的多くが虐待を経験していることがわかった。そして、ふと想像したのだ。あの女優が「残されたごはん粒を見るとゾゾーッとする」のは、親から受けた暴力の記憶が蘇るからではないのかと。

これはあくまで想像の域をでないが、虐待を受けた子どもたちが、その後の人生で一般社会との“ズレ”に悩まされることは事実である。暴力によって形成された子どもたちの価値規範を形成しているのは、一般常識や倫理ではなく、圧倒的な恐怖の記憶だ。だからこそ抗いがたくもあり、社会に適応するためには多くの援助と時間を要する。

今回このテーマを追ったことで、虐待の全貌が明らかにできたとは全く思っていない。それだけこの問題の根は深い。当たり前だが、私が原稿を書いても、直接虐待されている子どもを救うことはできないのだ。だが、もしかしたら子どもを救う力を持つ人に事実を“伝える”ことはできるかもしれない。だからこそ、可能な限りありのままを書く、ということが私のすべき最も重要な仕事なのだろう。


                                                 澤田

最近、仕事で「待つ」ことが多い。
例えば、ライターさんに発注した原稿。もう一方では、原稿を提出したクライアントからのフィードバック。
一冊の雑誌や本をディレクションするということは、そのキャッチボールが円滑に行われるための手助けをすることではないだろうかと、最近実感するようになった。

実を言えば、私は「待つ」のがあまり得意ではない。心配性なのか、気が短いのか、ともかく「待っている」という状態にストレスを覚えることは否めない。やや飛躍した言い方をすると、古いアドベンチャー系の映画などで、主人公が敵の罠によって密室に閉じこめられ、一方の壁がゆっくりと眼前に迫ってきて押しつぶされそうになるといったシーンがあるが、ちょうどあんな感じだ。迫りくる壁(締め切り)から逃れるためには、自分を遮る壁を乗り越える、あるいは自らの力で動かさなければ打開策は見出せない。

考えてみると、仕事というのは実のところ「信頼関係」や「希望的観測」といったファジーなものを土台として成立している部分が大きい。企画が通るかどうかも「クライアントの虫の居所」や「提出のタイミング」によって左右されるだろうし、「その場の雰囲気」によって仕事の能率や成果も違ってくるだろう。

それは振り返って考えてみれば、こちらから仕事を任せたライターの方々が、より効率的に安心して作業を進められる環境づくりをどれだけ行えるか、という部分にディレクターの真価が問われるということだと思う。作品と直に1対1(作品と作者)の関係性しか経験してこなかった私にとって、そのことは今後の課題であるとともにモノづくりの新しい視点を習得するためのチャンスなのかもしれない。


                                                (澤田)

先日、弊社が制作に携わった防犯意識啓発パンフレット『考えて身につく防犯絵本 こんなときどうする?』(東京法規出版刊行)が完成いたしました。

今回は、ストーリーの作成や文章の執筆のほかに、ディレクターとして企画・構成や進行管理についても携わらせていただき、様々な面で大変勉強になりました。イラストレーターの方やデザインを担当してくれた堀野をはじめとして、多くの方にご協力とご教示いただいたおかげで、手前味噌ながらなかなか読み応えのある商品に仕上がったのではないかと思います。

本パンフレットは、市役所等の公共機関に配布されるとのことで、読者対象は小学校1~3年生となっておりますが、多くの方に気軽に手にとっていただければ幸いです。ディレクター業務は責任も大きく、大変な作業でしたが、相応の決定権をもって仕事に取り組めたことは大きな達成感と充実感につながりました。文章を書く仕事も好きですが、これを機に本づくりの仕事をより深く覚えていくのもよいかな、と感じています。

                                                   (澤田)

とある大手英会話塾では、独自のメソッドを利用し、「赤ちゃんが“ごく自然に”言葉を習得するように」英語を話せるようになるという。その考え方とは、「ある物事を指し示す、あるいは思考する過程において、母国語を介すことなく、事象と言語(英語)を直結させる」というもので、簡単に言うと「英語を頭の中で日本語に翻訳することなく話せるようにする」ということらしい。

このメソッドによって英語をマスターできるかどうかは、本人の努力による部分が大きいと思うが、しかし考え方自体はとても興味深い。ここから言葉の性質について少々発展的に考えると、「Apple」と「リンゴ」はイコールではなく、ニアイコールとなる。二つの単語は、どちらも「赤く丸みを帯びた甘酸っぱい果実」を指し示すという点で一致しているが、その単語が持つ意味性や宗教性、文化的背景、それによって喚起されるイメージなどは、微妙に(ある部分ではかけ離れて)異なっている。有名な例で言えば、「タコ」と聞いたとき、日本語を母国語としている人は「8本の足を持つ赤黒い軟体生物」であることのほかに、「寿司やたこ焼きに使用される切り身」などを想像するが、英語を母国語としている人々、とくに欧米圏では、宗教的なバックグラウンドによって、「Octopus」という単語から「グロテスクで邪悪な生き物」を想像する。よって「タコ」と「Octopus」は同義的でありながら、言葉の持つ概念の面では全く一致しないことになる。つまり「Apple」や「Octopus」といった単語を“本質的に”理解するためには、「リンゴ」や「タコ」といった単語が持つ“日本的な概念のフィルター”を除去する必要があるといえるのだ。

このことから「民族性」と「言語」は不可分の関係にあるということが指摘されており、「国家とは言語である」と主張する社会言語学者もいる。そのズレは、民族といわず、個体体験の違いによっても当然生じる。

「何が言いたいのか」と問われれば、
「それだけ人がわかりあうことは難しいんだなぁ」ということである。

ディレクターとして業務に携わる中で、日々感じるのが、「コミュニケーション不足は致命的なミスにつながりかねない」ということだ。リンゴの絵ひとつをイラストレーターに発注するにも、それが「おいしそうな」リンゴなのか、「腐りかけの」リンゴなのか、また「おいしそうな」リンゴを描くとしても、「リンゴ自体のみずみずしさ」を強調するのか、「食べた人の嬉しそうな顔」を強調するのか、といった具合に、ねずみ算式に無限の選択肢が生まれてくる。普段コミュニケーションを図る上では、「他人が自分と同じイメージを共有している」という仮定に立ち、また多くの場合その仮定に当てはまることから、別段支障を感じることはないが、仕事上のやりとりなど精度の求められる場面で、ましてや作品のコンセプトに関わる部分で誤差が生じれば、後々取り返しのつかない事態に発展することも考えられる。「言葉の綾で…」という言い訳では、済まされないのだ。

自分の頭の中にあるリンゴの形を、日々変えていかなければならないと反省する今日この頃です。


                                                    (澤田)