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澤田です。気付けばスタッフブログも今回で101回目のエントリーとなり、月日が流れることの早さを実感する今日この頃です。
さて、今回のテーマはそんなこととはまったく関係のないことなのですが、皆さんは日ごろ携帯電話を使って写真を撮ったりするでしょうか?わたしは基本的に写真を撮ったり撮られたりということに興味がないので、あまりこの機能を活用する機会はありません。メールもあまりしないので、携帯電話ではなく電話の子機を携帯したほうがよいのかもしれません。ただ、そんなわたしでも、たまにグッとくる瞬間や光景に出くわすと、思わずピロロンと写真を撮ってしまいます。そしてたまに思い出してはしげしげと見ているのですが、なんだかそれも悪趣味な感じに思えてきたので、今日はその中から特に他人に影響を及ぼさないであろうと思われる、つまりどーだっていい写真を数点掲載したいと思います。

味噌カツと勘違いして注文した名古屋のソースカツ。

廃墟化しててたまご拾えなかった、たまご拾い牧場。

情緒を感じさせる細道。

遭難を感じさせるジャリ道。

首のびました。

首もっとのびました。

ヒト ト シテ …
はい、ということで、わたしの心にグッときた写真一覧でした。
明日からもっと仕事頑張ろうと思いますので
今後とも何卒よろしくお願いします。

ごめんなさい。もう勘弁してください。
暑さ寒さも彼岸まで。
ひつじぐもの下、まっかなヒガンバナの色がきれいなこの頃です。
私は先日、長野県松本市方面に住む学生時代の友人と会いました。
彼女が車をだしてくれたので、上田市方面に向かってドライブ。
ちょうど稲刈りシーズンで、田んぼのあちこちで作業をする人々を見かけました。
りんご(紅玉?)とぶどうも手のとどくところに下がっていて、しみじみ平和を感じてしまいました。
行き先は長野県上田市にある、「無言館」 (戦没画学生慰霊美術館)。
第二次世界大戦で亡くなった画学生の遺族の方が保存していた、絵画やイーゼルなどの愛用品を収蔵した美術館です。ぼろぼろになった作品や、戦地から家族にあてた手紙などから、そこにあったとおもわれる、”無言”の悲しみが伝わってきます。
ちょっと交通の便が悪いのでなかなか難しいかもしれませんが、興味のある方はぜひ足をはこんでみてください!景色もよく、近くにいろいろな温泉があるので、週末の気分転換にはなかなかよいところだと思います。
朝夕はめっきり涼しくなり、秋を感じるこのごろ。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
長かったような、短かったような、不思議な夏が終わっていきます。
これから誰も知らない冬に向かって時間がすすみます。
できた方がいい色々なことがまだできていません。
ペースを上げたいところなのにいっこうに進んでいる気がしないと、
急に落ち込みやすくなります。
そんなある休日、とりあえず散歩に出かけました。
ガレージの下でひとり野球の素振りの練習をしている少年を見かけました。
本屋さんで、杖をついたおじいさんがパソコンの画像ソフトの最新版の参考書を立ち読みしていました。
彼らがほんとうはどういう理由でそういう状態だったのかわかりませんが、(それは関係ないのです)
「ああそういうことか」
と納得し、私は作業に戻りました。
今もまだ、ニコニコ動画とクーニャンにはまっています。
大学時代に読んだ本の中に、数十人のAV女優にインタビューを行い、その半生をルポルタージュ形式で描いているものがあった。
その中の一つに、ある女優に対して、過去に交際していた男性について質問している場面があった。その女優は、過去にものすごく好きだった彼氏に自分から別れを告げたことがあるのだという。「どうして?」と訊ねる著者に、彼女はこう答えた。
「ごはん粒を残すのが許せなかったから。」
彼女は、茶碗に数粒のごはんが残されているのを見ると、虫酸が走ってどうしても我慢できないのだという。「まぁ、そういうものか」と、単純に私は理解した。だが、中学・高校と窃盗や傷害などの事件を繰り返し相当荒んだ青春時代を過ごしたというその女優の半生が明らかになるうちに、私はあるもどかしさを感じはじめた。彼女が、過去の犯罪行為について事もなげに語ってみせるからというわけではない。人を傷つけるよりも「ごはん粒を残す」という行為のほうが、よっぽど重罪で許されないことだと感情的になって語る彼女の価値観が、私にはよく理解できなかったのである。
半年前から、私は仕事で「子ども虐待」についてルポルタージュを書くようになった。色々な本や現場の人たちの話を聞くうちに、犯罪に走る子どもたちの比較的多くが虐待を経験していることがわかった。そして、ふと想像したのだ。あの女優が「残されたごはん粒を見るとゾゾーッとする」のは、親から受けた暴力の記憶が蘇るからではないのかと。
これはあくまで想像の域をでないが、虐待を受けた子どもたちが、その後の人生で一般社会との“ズレ”に悩まされることは事実である。暴力によって形成された子どもたちの価値規範を形成しているのは、一般常識や倫理ではなく、圧倒的な恐怖の記憶だ。だからこそ抗いがたくもあり、社会に適応するためには多くの援助と時間を要する。
今回このテーマを追ったことで、虐待の全貌が明らかにできたとは全く思っていない。それだけこの問題の根は深い。当たり前だが、私が原稿を書いても、直接虐待されている子どもを救うことはできないのだ。だが、もしかしたら子どもを救う力を持つ人に事実を“伝える”ことはできるかもしれない。だからこそ、可能な限りありのままを書く、ということが私のすべき最も重要な仕事なのだろう。
澤田