July 22, 2008

ご無沙汰しております。
コンテクストの前田です。

つい先日、私 実家に赴き 長い間、放置していた私物を整理してきました。
昔の写真、漫画やガラクタなど出てくること出てくること。
どう考えても東京の私の住処には持ち込むことは、出来そうも無い量です。
ということで当然のごとく廃棄やリサイクルとして処理することになりました。

ただでも長い間(おそらく6年以上)も無駄に預かってもらっていたので
これ以上、迷惑かけるのもはばかれるのでその地に沿った方法でゴミ分別をするべく
ゴミ回収袋をもらうとそこには

「燃やせるゴミ回収袋」と書かれているではないですか!
(確か昔は、「燃えるゴミ回収袋」だったはず。)

ということは、、、と思い、今回はほとんど無かったのですが
燃えないゴミの回収袋を見せてもらうと

「燃やせないゴミ袋」と明記。
(ちなみに昔は「燃えないゴミ回収袋」でした。)

うーん、この一見同じようで明らかに違うこの表記。
これって、昔は公害等も考慮して燃える(燃やしても良い)ゴミかどうかの境界線が、
      物理的に本当に燃やせるかどうかという境界線に変わったって事なんですよね、たぶん。

何をいまさらと思っている方々も多いとは思いますが、
先日までこの表記変更に気づいていませんでした。
自己弁護でありませんが、ゴミの分別は変更のとおりにしてますのでご心配なく。

p.s. 最近、寝つきも悪く 早朝も暑さで起きてしまいます。
   昔は、こんなこともなかったのですが、、、
   宿題や仕事があれば「眠れない夜」も
   何も無くても「眠られない夜」に変わってしまったようです。 私自身のせいか、環境のせいか、、、

July 15, 2008

最近、仕事で「待つ」ことが多い。
例えば、ライターさんに発注した原稿。もう一方では、原稿を提出したクライアントからのフィードバック。
一冊の雑誌や本をディレクションするということは、そのキャッチボールが円滑に行われるための手助けをすることではないだろうかと、最近実感するようになった。

実を言えば、私は「待つ」のがあまり得意ではない。心配性なのか、気が短いのか、ともかく「待っている」という状態にストレスを覚えることは否めない。やや飛躍した言い方をすると、古いアドベンチャー系の映画などで、主人公が敵の罠によって密室に閉じこめられ、一方の壁がゆっくりと眼前に迫ってきて押しつぶされそうになるといったシーンがあるが、ちょうどあんな感じだ。迫りくる壁(締め切り)から逃れるためには、自分を遮る壁を乗り越える、あるいは自らの力で動かさなければ打開策は見出せない。

考えてみると、仕事というのは実のところ「信頼関係」や「希望的観測」といったファジーなものを土台として成立している部分が大きい。企画が通るかどうかも「クライアントの虫の居所」や「提出のタイミング」によって左右されるだろうし、「その場の雰囲気」によって仕事の能率や成果も違ってくるだろう。

それは振り返って考えてみれば、こちらから仕事を任せたライターの方々が、より効率的に安心して作業を進められる環境づくりをどれだけ行えるか、という部分にディレクターの真価が問われるということだと思う。作品と直に1対1(作品と作者)の関係性しか経験してこなかった私にとって、そのことは今後の課題であるとともにモノづくりの新しい視点を習得するためのチャンスなのかもしれない。


                                                (澤田)

July 08, 2008

お疲れ様です。
日に日に暑くなり、本格的な夏の到来が感じられるこのごろですが、
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

気がつけば2008年も7月。
会社のほうも新しい期のスタートということで、
気持ちを新たに頑張っていきたいと思います。


いちごのショートケーキが食べたい
近日中に起こるらしい事務所移転1周年記念パーティー。
(画像がイメージだったら…というのは筆者の個人的希望です。)
及川ビルにやってきて、正確には1年2ヶ月弱位になります。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

July 01, 2008

最近、酒をたしなむ機会が多くなった。
言い換えれば、毎晩自宅で一人酒をしている。

酒は、うまい。心からそう言える人間になってしまった。

そうは言っても、私が飲むのは専らビールで、たまに日本酒を啜る程度であるから、酒豪になったというわけではない。相変わらず弱い。それにどちらかといえば、ワイワイ居酒屋で騒ぎながら飲むよりは、一人で漫画とか読みながら飲むほうが好きだ。

けれどもたまには外に出て飲みたい気分のときもある。
そこで最近は、一人で個人経営の小さな居酒屋やバーに入ったりしている。そういったところには、大抵マスターや女将さんがいて、こちらが望みさえすれば気さくに話をしてくれる。またマスターを通じて、ほかの客と会話が弾むこともある。この前は、隣席になった中年女性2人組と小学校教育の話題で盛り上がってしまった。聞けば、息子さんが私と同い年なのだという。「それがチャラ男でさぁ…」と、話しはどうすれば息子が立派な青年になるのか、といった話題に流れ、私は「経験を積めば…」とか「時間がたてば…」といった全く説得力のない希望的観測を二、三吐いた気がする。そして私の隣では、駅前でそば屋をやっている親父さんが、「うん、そうだ、そうなんだ。」としきりに相槌をうっていた。

こういった酒の席は楽しい。混沌とした雰囲気の中にも、時おり相手の人間性が垣間見られる場面があって面白い。何だかたくましい気持ちになる。不思議だ。生身の人間と酒を交わしながら語り合うという行為は、たくましくなるための必須条件のような気さえしてくる。
もっと、人間を知れ、ということか。

なんだか良いこと言ってる風に聞こえるが、要は酒が飲みたいだけである。
そしてとりあえずはそれでいい気がする。

                                                   (澤田)