テレビという巨大メディア

出版という仕事に関わる中で、以前からテレビという巨大メディアの持つ威力をまざまざと感じてきた。何しろ、視聴率がたった10%であっても、実に数百万人もの人が視聴した計算になるのだ。「数百万」という数字は、出版業界からすれば、天文学的数字と言ってもよい。数千部の雑誌や本を数ヶ月もかけて懸命に作っている身からすれば、何とも羨ましい話である。

だが、テレビという巨大マスメディアは、さまざまな側面で悪影響も及ぼしている。「悪影響」と聞けば、多くの人たちが下品なお笑い番組やバイオレンスドラマ、お色気番組などを想起するであろうが、私はそうした一部の番組を指して「悪影響」と言っているのではない。テレビという存在自体が、私たちの日常生活や人間形成に多くの「歪み」を与えていると思うのだ。

少し考えてみてほしい。ごく一握りの人間が作った番組が、電波に乗って何千万もの家庭に一斉に届く。そして北は北海道、南は九州まで、全国各地の家庭は、同時にその番組を見る。与えられた選択肢は、幾つかのチャンネルのみ。すべてのテレビ局が視聴率を意識し過ぎるあまり「大衆迎合的」な番組を作る昨今は、実際には選択権が与えられていないも同じであろう。すなわち、ごくごく一部の人間が作った映像に何千万という人たちが齧りつき、ときに笑い、怒り、涙しているのである。何となく「気味が悪い」と感じるのは、私だけであろうか。

当然のことながら、価値観や考え方は均一化されていく。極論を言えば、テレビ業界さえコントロールすれば、一党独裁政権を作ることも、革命を起こすことも、戦争を起こすこともできる。「そんなバカな」と言う人がいるかもしれないが、小泉政権をあれだけ持ち上げ、300議席を遥かに超える巨大政党を作り上げたのは、紛れもなくテレビというマスメディアだったのだ。

日本人の多くは、北朝鮮の国営放送を指して、「異常」だと言う。すべての国民が、国が放送する「偏った放送」のみを見続けているのだから、確かに薄気味悪い。当然、人々に定着する価値観は均等で、「日本やアメリカは悪い国」となる。いわば、国家による国民の洗脳と言っても良い。だが、果たして本当に「日本は北朝鮮とは違う」と言い切れるのだろうか。すべてのメディアが「北朝鮮は悪者」と扱い、その異常さを伝える。不正を働いた政治家や実業家を、罪の中身もよく知らないまま一斉にこき下ろす。どこのテレビも同じような論調で叩きまくる。そんな足並み揃った各局のニュース番組を見ると、北朝鮮と何ら変わらないのではないかとも思えてくる。

現代は「立法」「行政」「司法」に加えて、「マスメディア」が4大権力とさえ捉えられる時代。本来、これらは独立してけん制しあうべきなのだが、その中の二つがタッグを組んだら、これはもう大変な事態を招く。権力は一部の「勝ち組」に偏り、社会は平等と平静を失い、人々は自由と権利を剥奪される。

だが、ここ数年は実際に「行政」と「マスメディア」がタッグを組んでいるのが日本社会なのだ。それは、戦前の日本の状況と酷似しているのではないだろうか。
〔2006.8.04 弊社代表・佐藤明彦〕