表現が伝わる瞬間

 去る6月21日、弊社がお世話になっている映像ディレクターの本間氏と蔵谷氏、グラフィックデザイナーの林氏が主催するイベント「GeshiFes2005」が、代々木公園野外ステージにて行われました。このイベントは、夏至の日の夜に「たまには電気を消して、ろうそくにでも灯を点して、スローな夜を過ごしてみませんか?」と人々に呼びかけるもので、フリーコンサート等を行った後、夜8時にはライトダウン(消灯)して、キャンドルに灯を点します。夏至と冬至の日には、全国各地で同様のイベントが行われており、これらイベントを総称して、「100万人のキャンドルナイト」と呼んでいます。テレビや新聞などで、見聞きしたことのある人も多いのではないでしょうか。地球温暖化防止の一環として行われている側面もあり、環境省もバックアップをしています。
 上記「GeshiFes2005」は、「100万人のキャンドルナイト」の一部分として開催されてはいるものの、特別に予算的な措置をされているわけではありません。そのため、開催にかかる費用は自分たちで調達し、不足すれば自腹を切る必要があります。そのため、開催にあたっては、多くの方々から賛同のカンパを募りました。弊社からも多少のカンパをさせていただきましたが、私が親しくさせていただいている方々にも賛同を呼びかけ、多大な運営資金をカンパいただくことができました。この場をお借りして、感謝申し上げます。
 当日は、恐らく3千人近い人たちが会場に訪れていたのではないかと思われるほどの大盛況でした。コンサートには、「shingo2」「Suika」という若いヒップホップのミュージシャンが登場したこともあり、会場には10~20代後半の若者が目立ちました。私は本部テントでボランティアをしていましたが、友人たちが有志で企画したイベントに、多くの若者が集い、盛り上がる様子を、不思議な気持ちで眺めていました。
 イベントが終了すると、次から次へと観客が本部テントにやってきて、「カンパ箱」に小銭や札を入れていきます。
「お疲れ様でした」
「いいイベントでした」
「今度はいつやるのですか?」
 皆、一様に満足げな表情をしています。中には、本部テントのキャンドルを熱心に携帯で撮影している人もいます。「でんきを消して、スローな夜を」――その粋なキャッチフレーズは、今の若者たちの心を強く引き寄せたようです。
 イベント終了後、私は微力ながら「GeshiFes2005」の力になれたことに満足感を覚えると同時に、主催者に対する妙な嫉妬心を感じてしまいました。
 私たち「本づくり」に関わる人間は、普段滅多に「読者」と対面することがありません。自分が書いた文章を、読者が読み、何かを感じる瞬間に立ち会えることは、皆無といって良いでしょう。それゆえ、自らが書いた原稿について、時には「面白かっただろうか」「きちんと伝わっているだろうか」と、不安を感じることもあります。編集者の方が、褒めてくれることは稀で、よい原稿も悪い原稿も、「受け取りました」のメール(もしくは電話)で終了です。でも、考えてみれば、いちいち「良かったです」とか「素晴らしいです」とありきたりの社交辞令を並べられたり、中途半端な論評を加えられたりするよりは、良いのかも知れません。書き手の不安は拭い去れませんが、出来が悪ければ、「次の仕事」は頼まれないのですから。
 何かを「表現」し、人に影響を与えるものをメディアと定義すれば、文章や映像だけでなく、イベントも一つのメディアと捉えることができます。そして、イベントほど、主体と客体の距離が近く、その評価を直接的に、そして瞬間的に実感できるものはないでしょう。その逆が文章です。執筆したものに対する評価が、きちんとした形で得られるのは、一部の売れっ子作家に過ぎず、その結果が出るのも文章を書き終えてから数ヵ月が経ち、興奮も冷めてしまった後の話です。
 何日間もかけて準備をし、多大な労働力をつぎ込み、挙句の果てには自分たちの自腹を切ってまで、なぜイベントをしたいのか――「GeshiFes2005」が開催される前、私は少なからずそんな疑問を抱いていました。でも、イベントが終わった今、その理由が何となく分かるような気がします。自分たちの創作物が、直接的に伝わる瞬間に立ち会えることは、表現する者にとってこの上ない贅沢なのですから。でも、この麻薬に取り付かれてしまうと、「イベント貧乏」への道を歩んでしまうのだろうなぁ……。本間氏の周囲には、実際にそんな人が少なくないようです。

〔2005.7.1 弊社代表・佐藤明彦〕