新事務所開設!

 昨年9月に事務所を赤坂に持ったばかりですが、この4月に再び事務所を移転し、新しいオフィスを飯田橋に構えることとなりました。赤坂の事務所は、とある番組制作会社の一角をパーティションで区切る形でしたが、今回は単独でのオフィスです。急な展開・決断だったため、多くの方々にお知らせする間も無く移転してしまいましたこと、この場を借りてお詫び申し上げます。
 事情を説明させていただきますと、ここ1~2ヶ月の間に急速に仕事量が増え、編集アシスタントの方を雇わざるを得なくなったのです。赤坂の事務所は、いわゆる「居候」形式のため、私とアシスタントの2人が常駐するには手狭です。番組制作会社の方には、「もう少し広く貸してあげても良い」と言われましたが、いつまでも居候しているわけにもいかないので、いいタイミングだと思い、単独でオフィスを持つ決断をしました。
 新しいオフィスの近くには、お世話になっている音楽之友社や法規書籍印刷、法律情報出版などもあり、立地条件としては申し分ありません。JRの他に、地下鉄も南北線、東西線、有楽町線などが利用可能で、駅からは歩いて2~3分という好条件です。駅の近辺には、安い飲み屋・定食屋も多く、「独身・酒飲み」の私にとってはこの上なくありがたい環境でもあります。ごく親しいライターさんに「佐藤さんは、赤坂より飯田橋が似合う」と言われ、少々複雑な思いがしましたが、私自身もその通りだと納得しています。
 新しい事務所には、私の他に編集アシスタント1名、ライターの方1名、映像ディレクターの方1名がデスクを構える予定で、賑やかになりそうです。
 3月31日、私は前の事務所で1人、過去5年間の様々なことを思い出しながら、荷造りをしていました。私が大学卒業後、最初に勤めた出版社を退職したのが、ちょうど5年前、2000年の3月31日です。その日は、私も含めた部の送別会が開かれていたにもかかわらず、残業でただ一人、夜10時頃まで仕事場に残り、残務処理をしていました。色んな意味で悔しさ、自らの不甲斐なさが込み上げてきて、誰もいない職場で一人、悔し涙を流したものでした。
 その後1年間は、とあるIT系出版社に契約社員として勤めつつ、フリーライターとして活動していましたが、私にとっては最も辛い1年でした。書かせてもらえるのは、いつも100字前後のベタ記事ばかり。文章が苦手ではない私も、短い文章に必要な要素を埋め込んでいく作業に悪戦苦闘しました。「何だこの(ヘタクソな)文章は!」と、自分より年下の上司になじられ、目の前で書いた原稿を破かれたこともありました。悩みに悩み、たった100字前後の原稿を書くのに丸1日を要し、毎日の労働時間は14~15時間にも上りました。
 また、フリーライターとしての活動も順調とは言えませんでした。最初に手がけた記事は、雑誌社の都合により「お蔵入り」。とある編集プロダクションとは、原稿料未払い等で、トラブルに至ったケースもありました。貯金は底をつき、親に借金を依頼しようかと真剣に考えたのもこの頃でした。
 世間人並みの「エリート街道」しか歩んでこなかった私にとって、この1年間は、非常にシビアな時期だったと思います。一方で、ITに強くなれた点、それまでの価値観を崩せた点、自身の人生について真剣に悩み考えた点など、この上なく有意義な1年でもありました。
 その後の4年間は、小さな浮き沈みこそあったものの、トータルに見れば順調そのものだったと思います。「教育新聞」で記者として活動させていただくようになり、第一法規ではCD-ROMの制作を任せていただくようになりました。2002年1月には会社を設立。雑誌の特集企画や単行本の制作なども任せていただけるようになりました。5年前の「あの日」を思い出すと、よくぞここまで回復したものだと思います。
 下らない苦労話をしてしまいましたが、会社経営という点では、今が本当のスタートラインだと考えています。今後も、皆様方に迷惑をかけないよう、精進していきたいと考えていますので、ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

〔2005.4.1 弊社代表・佐藤明彦〕