携帯電話が人間の脳を破壊する

 数ヶ月ほど前の話です。私の自宅に3人の友人を招き、ちょっとした宴を開くことになりました。待ち合わせ場所は、王子駅の北口改札。私の自宅からは、歩いて3分ほどの所です。集合時間は夕方の6時。約束の約10分前、私は何の荷物も持たず、ラフな格好で駅へと向かいました。そして、約束の7分くらい前には、集合場所である王子駅北口に到着し、何をするでもなく、3人の到着を待ちました。
 ところがです。約束の時刻になっても誰一人として現れません。時間は5分、10分と過ぎていきます。私は日時か場所を勘違いしたのではないかと、不安になってきました。とは言え、連絡を取ろうにも、携帯電話は自宅に置いてきてしまいました。一度自宅に戻って、電話してみようか…そんな迷いが生じ始めたものの、その間に現れたらマズイと思い、踏ん切りがつきません。
 そうして20分が過ぎた頃、メンバーの1人が何事も無かったかのように現れました。私は待ち合わせが6時30分だったのかと思い、「約束の時間、6時じゃなかったっけ?」と聞きました。するとその友人は、平然とした態度でこう答えました。
 「『20分ほど遅れる』って、さっき携帯の留守電に吹き込んでおいたんだけど……えっ?まだ誰も来てないの?」
 携帯を自宅に置いてきた私は、当然そのメッセージを聞いていません。その後、6時25分になって1人、6時30分になってもう1人が現れ、ようやく3人全員が揃いました。その間約30分。せっかちな私にとっては、途方も無く長い長い時間でした。話によると、他の2人も「遅れる」と携帯に吹き込んだそうです。私は思わず「携帯があるからって、遅れてええんか~」と冗談ぽく毒づきました。でも、3人は「待ち合わせに携帯は必需品だろう」といった感じで、取り付く島もありません。

 …と、下らない愚痴を話してしまいましたが、皆さん方の中に、同様の経験をした人はいないでしょうか。私が言いたいのは、こういうことです。すなわち、携帯電話という道具が人間の行動様式を「アバウト」にしているのではないかと。
 例えば、携帯さえ持っていれば、待ち合わせ時間を「6時00分、王子駅北口改札。」と、しっかり頭に叩き込まずとも、「夜、王子駅で」とアバウトに記憶しておけば、後は携帯に頼れば大丈夫です。場所も「北口改札」と細かく覚えずとも、到着した時点で「今どの辺にいる?」と携帯で連絡すれば、問題なく落ち合えます。また、5分や10分到着時間が前後しても、「5分遅れる」「10分早く着きそう」の一報で、相手はそれに合わせて所定の場所へと向かえます。その分、互いの出発する時刻やスケジューリングは、曖昧なものになるでしょう。
 つまり、携帯電話という道具は極めて便利な代物である反面、人間の記憶や計画性、行動様式をアバウトにする可能性があると思うのです。人間の記憶や計画性は、思考そのものです。そう考えれば「携帯電話が脳細胞をも劣化させている」とも言えるのではないでしょうか。
 もちろん、仕事の商談など重要な用件は、手帳に書き記す人が多いでしょう。でも、ごく親しい間柄の人と待ち合わせをする場合、手帳には書き込まず、アバウトに覚えて携帯に頼る人は意外に多いのではないでしょうか。
 誤解の無い様に言いますが、私は「携帯電話否定論者」ではありません。現に、この道具を仕事にプライベートにフル活用していますし、今後も手放すつもりもありません。
 ただ一つ、いつも自分に言い聞かせているのは、「携帯に頼りすぎると脳細胞が破壊されるぞ!」という自己暗示です。あながち、オカルトな話ではないと思うのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。

〔2004.11.1 弊社代表・佐藤明彦〕