バカの壁

 昨年、『バカの壁』(養老孟司著)という本が大変なベストセラーになりました。恥ずかしながら、私はまだこの本を読んでいないのですが、身近な人の中にも本書を読んだ人は多く、「面白かった」との感想を方方から聞きます。「若者」と「老人」、「イスラム原理主義者」と「米国」、「上司」と「部下」……こうした対立構造に蔓延る溝を「バカの壁」と題し、脳研究の専門家である養老孟司氏に執筆させた編集者の企画力には、つくづく感服させられます。発行部数は350万部を突破したとのことで、この手の専門書としては、異例の大ベストセラーと言えるでしょう。
 とは言え、本書が「バカウケ」している事象については、現代人に蔓延る「どうしてわかってくれないの?」という苛立ちに対し、「しょせん、脳の構造が違うのだから仕方が無いでしょ!」と諦めを促しているような感もあり、少々複雑な思いもしています。私とて「人間同士、きっと分かり合える」なんてキレイ事は言いませんが、編集や執筆の仕事は、「理解もらう」ことを生業としていることもあり、「バカの壁」なる存在を認めたくない気持ちもあります。ただ、今の世の中には、あまりにも理不尽な事が多く、人々がある種の「慰め」を求めて本書を買い求める気持ちは、分からないでもありません。

 話は変わりますが、4~5月の激務が祟ったのか、すっかり身体を壊してしまいました。病院で検査してもらったところ、いわゆる「高尿酸血症」とのことで、しばらく食生活の見直しと飲酒の節制が必要と言われました。ここ数年、不規則な生活を繰り返してきたツケが回ってきたのでしょう。個人事業を営む者として、健康管理は当たり前の責務であり、皆様方に迷惑をかけないよう気をつけねばと、反省しているところです。
 何よりも痛いのは「禁酒」を通告されてしまったことです。夏場を前に美味しいビールが飲めないのは個人的にも辛いのですが、それ以上に、仕事を共にしている方々との「ちょっと一杯」ができないことが、最大級の痛手と言えます。長年、居酒屋を企画会議の場として活用してきた私としては、ビジネスツールの一つを失ってしまったような気持ちになっています。
 「そうも言ってられん!」と、先日、とある飲み会に参加させてもらいました。もちろん、「アルコール無し」での参戦です。居酒屋でウーロン茶を頼むのは、多分初めての体験でしたが、何とも不思議な感じがいたしました。結局、夜1時すぎまでお付き合いさせていただきましたが、楽しく会話させてもらったものの、今一つ周囲の雰囲気に乗り切れず、かえって皆さんに気まずい思いをさせてしまいました。お酒が入っている者と入っていない者の間に存在する「アルコールの壁」は、予想以上に大きかったというのが率直な感想です。
 そんな中、ふと考えたのは「お酒を飲めない(飲まない)人」ことです。日本の会社は、歓迎会や送別会、昇進祝いなど、あらゆる機会に宴会を設けるのが慣習ですが、それらイベントには、ほとんどの社員が半ば強制的に参加させられます。もちろん、お酒が飲めない人、嫌いな人も、例外ではありません。そうした人たちに対し、私は今まで「気の毒」と感じてはいたものの、真の気持ちを理解するには至っていませんでした。ベロベロになった上司から、素面の無防備な状態で猛烈な説教を食らった挙句、翌日には「覚えてない」なんて言われる。想像しただけでも身震いがしますが、飲めない人にとっては決して珍しくないことなのでしょう。
 酒好きな私も、アルコールが円滑な人間関係の醸成に一役買っている点は、否定しません。でも、酒の力を借りてしか、互いを主張できないような人間関係は、極めて薄っぺらいものだと思います。私自身、常々「酒場での暴言」は控えてきたつもりですが、「壁」の向こう側にいる人から見れば、不愉快に感じたことも少なくないでしょう。大いに反省せねば――妙な体験から一つの「壁」を超えられた今回、そんな思いを強くした次第です。

〔2004.7.1 弊社代表・佐藤明彦〕