人は数字に弱い

 先日、日本テレビのプロデューサーによる「視聴率買収」が発覚し、話題となりました。
 「視聴率」は、コマーシャル放映料の相場を決める一つの指標です。番組編成上の基礎データでもあります。すなわち、この数値をベースに、何千万円というお金が動き、番組の「継続」や「打ち切り」が決定します。その点、買収を画策した彼の行為は、断じて許されるべきものではないでしょう。
でも、その点を踏まえた上で言わせてもらうと、私はマスコミ各社の度を越した「加熱報道」に、違和感を覚えました。
 事件が発覚した当日、テレビ局(日本テレビを除く)各社は、トップニュースでこの事実を伝え、中には「ニュースステーション」のように、数十分もの枠を割いた番組もありました。また、新聞各紙は1面この事件を報じ、社説で取り上げるなどして、厳しい批判を展開しました。「ワイドショー」の格好の標的になったことは言うまでもありません。
 でも、多くのメディアが問題の根拠とする「視聴率」とは、果たしてそんなに信頼できるものなのでしょうか。
 視聴率調査は、全国各地の世帯の中から6,250軒をサンプルとして抽出し、テレビに視聴率調査用の機器を取り付けて行います。(全国規模から考えると6,250という数字は、やや少なくも感じますが、統計学上は問題ないとのこと。)調査を行っているのは「ビデオリサーチ」という民間の調査会社です。
今回の「買収」は、サンプル世帯に「謝礼を払って番組を見てもらう」ことで成立しました。いわば誰でも思いつきそうな、単純明快な裏工作です。
 私は「視聴率買収に近いことが日常的に行われている」とは言いません。でも、書籍の発行部数のように一括管理ができず、サンプルをベースに一民間企業が提示する視聴率算出のしくみは、極めて脆弱なものだと思います。すなわち、その程度の存在である視聴率が不正に操作されただけで、何故にこれほど大騒ぎをするのか、もう少し視聴率に対して冷静な目で見る必要があるのではないかと、私は思うのです。
 考えてみれば、人は「数値」や「データ」の影響を受けやすい一面があります。政治家は「支持率」に、サラリーマンや会社経営者は「株価の動向」に一喜一憂します。もちろん、データが一指標として有効な点は否定しません。でも、数値に頼りすぎて「政策の中身」や「生活の充実度」といった生の情報が見えにくくなっているのではないか――私はそう感じています。
 昨今話題の「学力低下論争」にしても同じです。ただ、公的機関が実施した一斉テストの成績が「10年前と比べて15点低下した」というだけで、どんな問題が下がったのか、どんな能力が下がったのかを検証しないまま、「ゆとり教育」を批判することはできません。プロ野球だって、「本塁打・打点・打率」だけで評価できない選手は多数いますし、競馬だってデータだけに頼っていては勝てません。
 視聴率という極めて脆弱な指標に、テレビ局関係者が右往左往し、何千万円というお金が動き、不正工作に奔走する人まで出てくる――そんな現象を「茶番」のように感じてしまうのは私だけでしょうか。

 先日、経済畑の記者を務める私の知り合いが、こんな話をしてくれました。
「数値だけを見てはダメ。その数値がどのような方法で算出されたのか、きちんと検証した上で判断しなければ」
 まったくその通りだと思います。重要なのは、どうやって「数値を出したか」を理解した上で、判断材料の一つとして活用することです。数値を過信し、データだけに頼りすぎていては、物事の本質が見えなくなってしまいます。

〔2003.11.1 弊社代表・佐藤明彦〕