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澤田です。
先週、佐藤からも告知させていただきましたが、今週から「スタッフブログ」の体制を刷新し、佐藤はアメーバーブログでより教育に特化した内容のブログを始めることになりました。スタッフブログは、私と、今月からアルバイトとして弊社に入ってくれた渋谷の2人で担当させていただきます。渋谷については、いずれ本人から詳しい自己紹介があると思いますので、どうぞご期待くださいませ。
さて久しぶりのブログとなってしまいましたが……、今日は電子書籍と本の今後の行く末について、自分なりに思うことを記したいと思います。
以前、本ブログでもamazonが販売している電子書籍「キンドル」を取り上げ、そのコストの安さや利便性について触れさせていただきましたが、その一方で、キンドル反対派が多数いることも確かです。その理由はさまざまですが、どうやら「本に比べて味わいがない」ということが、最も多い意見のようです。確かに、書店で本を購入する動機として、カバーデザインや本自体の質感、重量感というのは、無視できない魅力だと思います。
このことは、私たちがキンドルに求めるものと本に求めるものは、必ずしも一致しないということではないかと私は思いました。この話題に触れるとき、どうしてもキンドルの機能的な優位性ばかりに目が向き、書店や出版社、そして本自体が駆逐されるようなイメージを持ってしまいがちですが、そもそもキンドルの持つ「機能性」と本の持つ「文化的な味わい」の双方の魅力を、二項対立的に論じること自体が間違っているのではないかと感じたのです。
例えば、本が、装丁や紙質、大きさなどに全くこだわらない、中身の情報を伝達するだけのものだとしたら、その市場は確実にキンドルに奪われるでしょう。現在、いくつかの小学校や大学、企業が、研修用、学習用教材としてニンテンドーDSやiPhoneを用いているように、情報系、教材系の書籍に関しては、今後電子化が進んでいくものと思われます。しかし一方で、村上春樹のように熱狂的なファンがいる小説などの文芸作品においては、電子化は進みにくいのではないでしょうか。なぜなら、それらの作品は、本をコレクトすること自体にも価値があるからです。本好きの方であれば、本棚に自分の好きな本がずらりと並んでいるのを見て、思わずニヤリとしてしまう感覚もお分かりになるのではないでしょうか。
このことから、私は中長期的な観点から見た場合、今後出版社あるいはその編集者には、より本づくりにこだわりを持った、職人的、芸術的な感性が求められてくるのではないかと思います。思わず「所有したい!」と思わせるような装丁、重量感、質感など、徹底的に「本自体の美しさ」を追求することで、例えば定価が5,000円や1万円したとしても、その価値に気付き購入したいと思う人は必ず現れるでしょう(それを採算ベースに乗せられるかといった点が、大変難しい点ではあるのですが……)。ただその一方で、販売戦略的には、同じ内容の書籍でも、豪華版と廉価版、電子版を同時発売するといったように、読者が求めるものに応じてメディアの形態を選択できるようにしていく必要があると思います。豪華版を広告塔として見立て、廉価版、電子版の売り上げでコストを回収するといったやり方も考えられるでしょう。
今後、電子化の波が押し寄せる中で、編集者に求められるのは本を軽んじることではなく、「自分たちが文化を作っていくのだ」という矜持と本物志向にほかならないと私は思うのです。
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